3.11巨大津波に立ち向かう
一瞬の想いが百年、時を超える。一枚の写真が百年、心を震わせる。
HUMANBAND on Route 3.11みんなで百年、力を合わせる。
2012年3月11日
東日本大震災から1年が過ぎた日
わたしたちは海に向かって立ち
目を閉じ
どこまでもどこまでも手をつなぎあって
いつまでもいつまでも祈るだろう
HumanBand
亡くなったひとびとを決して忘れない
いのちあることに感謝する
力のかぎり生ききる
わたしたちのいのちは
ともに祈ることによって
あらゆる障壁を打ち砕き
ひとつになることができる
祈りはやがて
宇宙のいちばん奥にある
静かな泉にまでとどいて
あふれでる光と響きを
惜しみなく降らせてくれるだろう
かれらにも
わたしたちにも
HumanBand
奇跡の33秒をともにしたさまざまな想いの足跡が未来への道になっていく。希望の道、Route 3.11。
大震災がもたらしたもの
八戸で仕事中に突然、激しい揺れに襲われた。電信柱が大きく揺れていた。これほどの地震を経験したことが無かった。家に飛び込んで見ると電気が止まっていた。家中が散乱し居間の戸や二階の窓枠が外れ落下し壊れていた。温水器のパイプが折れ水蒸気が煙のように吹き出していた。それを見た隣人が火事と勘違いし騒いでいた。テレビもつかないのでどれほどの規模の地震なのか情報が入ってこない。ラジオを聴いても災害の情報が入ってこないのか、震度と地震や津波発生における注意事項を繰り返すのみであった。
時間が経過し夜となり、ラジオからのニュースは巨大津波の避難勧告に変わっていった。そして、ついに東北各地の被害状況が飛び込んでくる。夜のロウソクだけの中で聴くその状況は恐ろしいものであった。
翌日の朝から電気の無い生活・仕事はままならず自宅待機となった。追い打ちをかけるように食料品店やガソリンスタンドは長蛇の列。ガソリンスタンドに何時間も並ぶが、ガソリンが無くなり途中で打ち切りとなった。唯一救いであったのが断水がなかったことだ。八戸市は、昨年の年末年始に断水となり市民からの怒りの声が今回反映されたのだろう。
電気・水道・車に頼りきっている現在の生活で、今回の巨大地震は私たちに大きな教訓を与えてくれた。そして被災された多くの人々は、生活の全てを津波に流された。また、福島県の原発事故により避難された人々や、風評被害による農業・漁業に携わる皆さんの苦悩が心に痛い。
あれから二ヶ月が経過し、ライフラインは回復しつつあるが、この巨大地震災害を長期にわたり復興していかなければならない。被災しなかった国民も我が痛みとして真摯に受けとめ助け合い、協力して一日も早く平和な日本を取り戻さなければならない。
今回はこの災害において、支援活動した方々より貴重な報告を元に紹介する。
巨大地震における死者・不明者
気象庁はマグニチュード(M)9・0と発表した。警察庁がまとめた東北地方太平洋沖地震(余震も含む)の死者は、5月10日現在で1万4949人となった。警察に届け出があった行方不明者は9880人。
死者の内訳は、宮城県8941人、岩手県4400人、福島県1544人など。行方不明者は、宮城県5969人、岩手県3275人、福島県632人などとなっている。また、約11万7千人が避難生活を送っている。(朝日新聞)
津波に破壊された街
巨大地震で被災した東北各地の被害状況を、青森県おいらせ町の災害支援を8回実践した興雲寺のグループから写真を提供していただいた。誌面どおりのありさまで、各地とも会社・自宅・自動車・人命までも押し流した津波。二ヶ月近くたった今でも、復興のための作業は一向にはかどっていない。
やっと自衛隊・消防・警察・海外からの支援隊の救援で生活ラインの道路が確保されつつあるのが現状。電気や水道も少しずつではあるが回復してきている。
津波による不明者は多く発見されていない。避難所・仮設住宅の生活は長期に渡るものと予想される。家族を失い、仕事を失い、生活の目処もたたない被災者の人々の行末が思いやられる。巨大地震での原発事故、海外からの援助はあるものの、負の連鎖で日本からの車や食糧などの輸出は難しくなるだろう。日本経済の危機である。
今こそ日本の行政が問われる時で、政党争いなどしている時ではない。一致団結して、国民の人命・生活を優先し事に当たるべきだ。長期に渡るであろう復興に、国民一人ひとりが「テレビの中で起きた出来事」ではなく、「他人事」ではなく、「自分の事」として真剣に立ち向うことを切に願う。被災しなくとも、確実に火の粉は降りかかって来る。
自衛隊と消防隊
海外救援隊の活躍
4月6日。救援物資と避難所の炊き出しボランティアに参加し、宮城県の女川町を訪ねてみた。震災から26日間たった今でも一向に進まない復興作業。支援車両のガソリン確保は出来てきているものの、不明者の捜索や被災者の救援作業が優先しているからだ。
電気は回復したものの、水道はいまだ回復の兆しがない。各地の避難所は被災者で溢れている。全国から寄せられた救援物資は女川町第一小学校の体育館に満載されていた。
生活ラインとなる道路のガレキの除去、津波による不明者の捜索、救援物資を避難所に運んだり、避難所の被災者の風呂を用意したり、飲料水の運搬など主要な部分を自衛隊の皆さんが実践していた。海外救援隊の中には不明者捜索のためにインド、イスラエルからも救援隊が来ていたという。
地元住民は、生活の全てを失い自分が生きるだけで精一杯だ。地元住民の自力での復興はいつから出来るのだろう。将来が見えず、ガレキを除去する道具も無い。これから被災された皆さんの長期にわたる戦いに、私たちは真摯に応えていかなければならない。
長期にわたる避難所生活で、被災者の疲労はピークになってきている。聞くと夜もろくに眠れないという。余震が続く中、これからの生活・家族・仕事のことが頭をかけめぐるからだ。
今後の求められるボランティアには、心のケアが必要だ。被災者が自立し、復興へ歩み始めるためには生活が確保されることが一番大切。義援金・支援物資もさることながら、これからは、折れた心を立ち直らせてくれる長期にわたる心の支援が求められている。
ボランティアの力
福澤定岳さんは、青森県おいらせ町にある宗教法人「興雲寺」(住職・新山勝春)の参禅道場の仲間で組織した「救援物資直送のボランティア活動」を実践しています。今回で6回目の支援活動を終えました。その活動の中での感想を聞いてみました。
たぶん、時間がたつにつれ、それぞれのニーズも変化すると思います。物資、食料に関しては、当面の緊急支援はどこでも行き渡っているように感じます。これまでお寄せいただいた支援物資は、それぞれの方たちの心からのご厚意ですので、出来るだけ現地に直接お届けしたいと思っています。
支援物資の中でも、特に男女下着(新品)、さらにトイレットペーパー、紙オムツ(大人・子ども用)、生理用品といった日常の消耗品は継続的にどこでも共通して必要とされているようです。
先に述べた物資以外にもみなさんが必要だと思う物資を考えていただくのもいいかもしれません。女川の避難所では、「なんといっても炊き出しの温かい食事が一番嬉しい」「柔らかく煮た野菜がこんなにおいしいなんて…」と大好評でした。温かい食べ物を前にしての弾んだ声を聞いて、食べ物の力は大きいとあらためて感じました。
また、今回の避難所では、まだ水道が復旧していないので、思うように洗濯が出来ないけれど、復旧後はみんな一斉に洗濯することが予想されます。今後、物干しや洗濯物ハンガーなどが必要になるのではと言っていました。
地域によっては自分たちで復旧に向けて動き始めていて、丈夫な作業着や軍手、長靴が欲しいという所もあるようです。 八戸の仲間たちは、自分たちでハンドマッサージを教え合って、近くの避難所に行ってマッサージをしながら一人ひとりのお話を聴くという活動を実践しています。
この災害で、間違いなく避難所生活は長期的なものになると思われます。初期の緊急支援の段階から、さらに関心を持ち続け、継続的で柔軟な支援が必要だと感じました。
誰かの号令や指示を待つ生き方もそれはそれでアリですが、たとえ、一時はヒンシュクをかおうと、自らが切実に願い、仲間に声をかけ、行動して行くうちに道が開け、多くの人たちや事がらに出会わせていただくこともあると思います。
一見小さいように見える一人ひとりの行動ですが、つながりあえたら不思議なパワーを生み出します。
もしかしたら、それって…たぶん、これまでのモノやカネの文明を超えるヒントかも知れませんね。(三沢市 福澤 定岳)
被災地支援活動の報告
社会福祉法人 宏仁会
高齢者総合福祉施設 清風荘(平内町)
理事・総合福祉施設長 長根 祐子
被災地、陸前高田市の惨状を目の当たりにした時、涙が流れてきました。また、避難所の「格差」には、胸が詰まりました。笑顔のかげで、「いかり」の感情を抑えている被災者を前に、言葉がありませんでした。被災して13 日目、厳しい状況下にある避難所を訪ねた報告書です。
2週間近くが経ち、すでに相応の対応がなされた状態と想像しましたが、驚くことに配給される食料は『おにぎり・漬物』だけというものでした。食事については少し野菜が入ってきたものの、避難者の方で体調を壊す方が目立っています。現在(3月28日)では、風邪薬、おなかの薬、温かい下着、そして寝たきりのお年寄りの床ずれが悪化したので、その薬がほしいという声が届きました。
テレビ報道では、いろいろなボランティアが入っている様子が目にされます。しかし、我々福祉職が担うべき活動については、まだ先になるようです。介護職の派遣や受け入れについて調査が行われましたが、被災県からの介護職員の派遣要請が無いとの理由で、派遣延期の事務連絡通知がありました。
決して現状が回復したということではありません。背景に、被災県にとっては、手続きが追いつかない、あるいは逆に手間がかかるということがあるらしいのです。生活再建への国・自治体の体制が整うまでには、まだまだ時間がかかることでしょう。それでも、ようやく、社会福祉協議会や防災ボランティアセンターを中心に、ボランティアの拠点が整いつつあります。これで、効果的な支援活動が行われるようになりますし、苦情例のひとつに挙げられる自律性のないボランティアの姿勢も改善されるものと思います。
現在、自主的に活躍しているボランティアの主流はNPO や個人ネットワークによる私的な団体で、この機動力も素晴らしいものです。これに、本来のノウハウのある社会福祉法人が動くと効果は大きい…と考えると、残念でなりません。
こういう支援の動きは、被災地にはまだまだ届かないところもあり、今日のことで精一杯、失意の中で先行きの不安に潰されそう…という状態でいます。
国から再建復興のビジョンが示されますが、はたしてあの被災者の方たちの気持ちと命がそれまで維持できるでしょうか…焦るばかりです。無力さを感じつつ、それでも「出来る人が出来ることをする!」「具体的に、何ができるか」と、言い聞かせ、被災地支援の準備と連絡をとっています。
物資におけるニーズの変化
被災地での物資に関する課題として感じたことは、支援物資と被災者ニーズのマッチングの困難さです。これを助長したのが、人員不足や燃料不足から起きた搬送の遅れでした。一般的に言われているように、支援物資の精度・鮮度ということは言うに及ばず、急性期での物資ニーズと、それ以後の心身の疲労・ストレスを緩和・ケアするための物資など、避難所生活の過ごし方と共に変化するニーズに対応するように物資が届けられることが重要です。これは、いわばタイミングの問題です。
私たちの第二回目のボランティア活動では、要望のあった衣類や各種お薬に加え、心のケア、潤いになるような品物を選びました。これに関しては、事前に被災地のリーダーにリサーチをした際、具体的要望として出されたものではなく、むしろこちらから提案をしたものでした。この時、被災地リーダーが言った「今、今を、生きるのに、精一杯で、そのような物を思いつきませんでした」という言葉が印象的でした。初回の生活物資とは違う性格の物資をお届けし、私たちの予想を上回る大きな反響で、笑いと歓声がありました。避難所という集団生活、インフラの復旧の予定も立たないという困窮した環境・状況下で、自分を抑制して生活していることが伺えました。また、4月からの学校再開に合わせ、ランドセルをお届けし、子どもたちは勿論のこと、家族、そして一緒に非難している地域の方々から、大変喜んでいただけたことをお伝えしたいと思います。支援物資を提供してくださったお一人お一人の善意を確実に渡し、伝え、被災者の生活再建への大きな助け、心の支えになったと思われますことをご報告いたします
福祉避難所
福祉避難所の周知活用について要援護者避難個別計画においては、その援護内容、障害等の形態に応じた福祉施設等を避難所として指定することが望ましいと言えます。緊急的に避難した避難所の設備や、長期間に渡る集団生活での精神的ストレスは、要援護者は勿論、介護家族、そして他者にとっても負担が大きいものです。介護家族は、集団生活における他者への遠慮があり、建物に危険を感じながらも自宅等への移動をしている例、あるいは、予め自宅から動かない例も散見され、物資の補給や情報の収集も困難となっている例が見受けられました。
避難所内の変化
避難所の運営では、仮設住宅等を含む生活再建の実現に関して、個人の価値観等の個人差が影響する場合があり、これが避難所生活の心身の疲労感と重複し、被災者間の関係性に影響を与える場合が散見されます。このために、リーダーが可能な限りの詳細を把握すること、そしてリーダーの役割を分散することで精神的負担を軽減し、被災者間の軋轢(あつれき)を避ける工夫が必要と感じました。※避難所のリーダーの役割の明記と分担被災者のニーズを詳細に把握すること男女のリーダーによる生活感覚に差があるため、それぞれ必要副リーダーの配置(10人に1人の配置)
今後の課題
広域的な支援には、自己完結型のボランティアが多数必要です。支援のスピード・内容ともに、時間の経過で変化するため、常に避難所でのリサーチが必要で、例え週一回であっても、被災者にマッチしたきめ細かい活動を行うことが大事です。
被災者のエンパワーメントになるような福祉的ボランティアであることが大切です(心のケアや自立への取り組みに通じる内容であること)。効果性の高い自己完結型ボランティア組織は、特にボランティアを志向する一般の人との協働によって、より意欲的なボランティアを触発することを使命とします。
ボランティア行為の根源である有用感や善意を可視化させること、さらには、多様な価値観からのミスマッチングを調整する作業を惜しまないことが重要です。
ボランティア活動者 感想・意見
被災した時の状況や想いを話したいのではないかと思いますが、内面に触れる分、怖い思いがあり、じっくりと対話をすることに慎重になりました。しかし、二回目になると、なじみ感があり、被災者の方から積極的な働きかけ、会話があり、継続した交流こそ大切という思いになりました。
一個人で活動するより、日常の組織をベースにグループで活動できたからこそ、アウトカムを確認できました。「なんとか手伝いをしたい」という思いを、具体的な実践に結びつけることができました。
防災ボランティアセンターに連絡をしたが、ボランティア保険の説明しかありませんでした。拠点として、ボランティアを志向する人にマッチングする情報を提供することが必要なのではないでしょうか。ただし、一回の電話でのやり取りでは、提供する情報にも限界があることから、恒常的に養成活動や、あるいは、更にサポートをするボランティアコーディネーターが重要です。
みなさまからお寄せいただいた貴重な報告のほんの一部しか掲載できなかったことをお詫び申し上げます。
「HUMANBAND on Route 3.11」は、どんなにお金があっても、
それだけではけっして実現できない「心のプロジェクト」。
わたしたちひとりひとりの想いとみんなの願いだけが、原動力です。